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世界の女優達を紹介します。
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ジューン・アリソン(June Allyson, 1917年10月7日 - 2006年7月8日)

アメリカ合衆国の女優。本名、Eleanor Geisman。1940年代から1950年代にかけての活躍がよく知られている。『ガール・クレイジー-Girl Crazy』など数々のミュージカル映画に出演し逆援助を高めていたジューンは、1944年の『姉妹と水兵-Two Girls and a Sailor』ヒロイン役でトップ女優の仲間入りをした。その後も『三銃士-The Three Musketeers』のようなアクション映画やコメディーなどに出演した。1945年8月19日に13歳年上で人妻の子持ちの俳優ディック・パウエルと結婚し周囲を驚かせた。 1949年、マーガレット・オブライエン、エリザベス・テイラーと共演したメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社創立25周年記念作品『若草物語 -Little Women』で主演を務めた。1951年に妊娠し、内定していた『恋愛準決勝戦 -Royal Wedding』を降板するトラブルもあったが、復帰後も数多くの名作映画への出演を果たした。また、夫が製作し彼女が司会を務めたテレビ番組『The Dupont Show with June Allyson』は好評を博した。

 

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アリーヤ
(本名:Aaliyah Dana Haughton, 1979年1月16日 - 2001年8月25日)

アメリカ合衆国ニューヨークブルックリン出身の歌手、女優。「アリーヤ」とはスワヒリ語で「最高の存在」という意味。アフリカ系アメリカ人とネイティブ・アメリカンの両親のもとで1979年にセフレ で生まれ、5歳のころにデトロイトに移る。6歳で『アニー』の舞台に同人誌として立ち、ニューヨークを中心に9歳から芸能活動を始める。11歳の頃はラスベガスでショーをこなしていた。1994年、わずか15歳で、グラディス・ナイトの元夫でありアリーヤの叔父でもあったバリー・ハンカーソンの紹介によりR・ケリーがプロデュースしたデビュー・アルバム『エイジ・エイント・ナッシング・バット・ア・ナンバー』をリリース。二人は公私ともに仲がよかったとされるが、実際の付き合いが語られることはなかった(二人の婚姻については諸説あるが、彼女は年齢詐称をしてR・ケリーと婚姻届を提出。後に発覚し、不受理となったようである)。R・ケリーの手を離れ、ティンバランドを名プロデューサーとして世に知らしめたセカンド・アルバム『ワン・イン・ア・ミリオン』を1996年リリース。

歌手としての活動にとどまらず、ジョエル・シルバー製作カンフー・ヒップホップ映画第一弾『ロミオ・マスト・ダイ』(2001年第二弾『DENGEKI 電撃』、2003年第三弾『ブラック・ダイヤモンド』)でヒロイン、トリシュ・オーデイ役としてジェット・リーと共演、2000年公開された。劇中ではアクションシーンもこなし、スクリーンデビューを果たす。同映画主題歌『Try Again』が大ヒット。同曲は2001年のグラミー賞にノミネートされた。

2001年サード・アルバム『アリーヤ』が発表され、映画『マトリックス・リローデッド』『マトリックス・レボリューションズ』の出演も決定するなど、人気が絶頂に達していた同年8月25日(当時ボーイフレンドであったロカ・フェラ・レコードのCEO、デイモン・ダッシュと会うために予定を繰り上げたといわれている)、『Rock The Boat』のPV撮影を終え、バハマ北部にあるマーシュハーバー空港から搭乗したフロリダへ向かうセスナ402が離陸直後墜落、死去した。22歳没。事故は機体の整備不良、積載オーバー、パイロットのコカインやアルコールの吸引が原因といわれている。彼女の遺体はニューヨーク州ハーツデイルのファーンクリフ墓地に埋葬されている。

ジー役として『マトリックス・リローデッド』の撮影はほとんど終えていたが、『マトリックス・レボリューションズ』は撮影前だったため、急遽、台本の書き直しとノーナ・ゲイを代役に立てて、映画は制作された。映画として遺作となった『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』の続編、映画『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』が2002年公開。太古のヴァンパイア、アカーシャを熱演した。

また事故の直後、大学進学のために彼氏と離ればなれになるガールフレンドの心境を綴った楽曲『Miss You』が発表された。事故と因果を感じるこの曲のPVでは、生前彼女と親しかったDMX、ミッシー・エリオット、リル・キム、トニ・ブラクストンを始めとする多くのアーティストが出演、彼女の死を悼んでいる。

宇多田ヒカル、Crystal Kay、DOUBLEをはじめ、日本のシンガーにとっても憧れの存在である。

 

ビクトリア・アブリル(Victoria Abril, 1959年7月4日 - )

スペイン・マドリッド出身の女優。
ダンスを学んでいたが演技に転向し、1974年にデビュー。ペドロ・アルモドヴァルの『アタメ』や『キカ』といった作品で知られている。また、フランスやイタリアの作品にも出演している。
プライベートでは2度結婚している。また、撮影監督のジェラール・ド・バティスタとの間に息子が二人いる。
溝の中の月 youtubedans le caniveau (1982)
マックス、モン・アムール Max mon amour (1986)
アタメ ¡Átame! (1989)
アプリの天使たち Une époque formidable... (1991)
ハイヒール Tacones lejanos (1991)
キカ Kika (1993)
ジミー・ハリウッド Jimmy Hollywood (1994)
彼女の彼は、彼女 Gazon Maudit (1995)
死んでしまったら私のことなんか誰も話さない Nadie hablará de nosotras cuando hayamos muerto (1995)
ウェルカム!ヘヴン Sin noticias de Dios (2001)
 

ジェニファー・ジョアンナ・アニストン(Jennifer Joanna Aniston、1969年2月11日 - )

アメリカ合衆国の女優。身長165cm。カリフォルニア州シャーマンオークス出身。父親のジョン・アニストン(John Aniston)はギリシャ系でソープ・オペラに出演していた俳優、母親のナンシー・ダウ(Nancy Dow)はイングランド及びスコットランド系の女優。名付け親は俳優テリー・サバラス。ギリシャで数年過ごし、ジェニファーが9歳の時に両親は逆援離婚。ニューヨークに移り住む。高校在学中より演技を始め、卒業後にオフ・ブロードウェイで出会い何本かの舞台に立った。1990年にテレビ番組『Molly』でデビュー、1992年に『レプリコーン』で映画デビューしたが、役柄などに恵まれなかった。1994年に放送開始されたテレビドラマ『フレンズ』のレイチェル・グリーン役でブレイクする。2002年にはエミー賞を、2003年にはゴールデングローブ賞を受賞。2004年のピープル誌の「最も美しい50人」のトップに選ばれ、表紙を飾った。

『フレンズ』放送終了後は映画を中心に活躍している。2002年公開の『グッド・ガール』でインディペンデント・スピリット賞主演女優賞にノミネートされた。

2000年7月29日に俳優のブラッド・ピットと結婚。2005年1月に別居を発表し、同年3月に離婚を申請。同年10月2日に離婚が成立した。離婚原因は、映画『Mr.&Mrs.スミス』の撮影中のブラッドと共演者であった女優のアンジェリーナ・ジョリーとの間に恋愛関係が生まれたことにあった(後にアンジェリーナが当時不倫関係にあった自分とブラッドついて「子供(二人の間には3人の実子と3人の養子がいる)が、両親が出会って恋に落ちた映画作品を見られるなんて、そんな感動的なことはそうあることじゃない、子供たちにはぜひ見せてやりたい。」と雑誌の対談で語ったことに対してアニストンは、「(そんなことを言うのは)クールじゃない」と感想を述べている)。ブラッドとは、現在でも祝い事などがあれば連絡は取り合っているという。その後、『ハニー vs.ダーリン 2年目の駆け引き』で共演した俳優のヴィンス・ヴォーンと交際したが、2006年12月に破局[1]。また、2008年4月からミュージシャンのジョン・メイヤーと交際。同年8月に破局が報道されたが、その後も二人でいるところを目撃されている。

犬好きで、2匹の犬(ノーマン、ドリー)を飼っている。

 

メアリー・アスター(Mary Astor、本名:Lucile Vasconcellos Langhanke)
1906年5月3日 - 1987年9月25日)は、アメリカ合衆国の女優。
イリノイ州クインシー出身。ドイツ人、ポルトガル人、アイルランド人の血を引く。美人コンテストに入賞したことがきっかけで映画界入りを果たし、14歳でデビュー。『ボー・ブラムメル』(1924年)でジョン・バリモアの相手役に抜擢され、スターへのきっかけを掴む。乱交当初はお姫さま的な役柄が多かったが、30年代に入ると『紅塵』(1932年)、『孔雀夫人』(1936年)などで演じたような貞淑な女性役を得意とした。しかし私生活では不幸やトラブルが続き、最初の夫は結婚2年目に飛行機事故で墜落死。1936年、2番目の夫とのクリック保証離婚訴訟の際に、浮気相手との秘め事を書き記していた日記が暴露され大きなスキャンダルを巻き起こした。また、実の両親から生活費の援助が少ないと訴えを起こされた事もある。
一方で仕事面は順調で、1941年には『偉大な嘘』でアカデミー助演女優賞を受賞。同年ハンフリー・ボガートと共演した『マルタの鷹』もヒットする。戦後の代表作には『若草物語』(1949年)の母親役などがあるが、アルコール依存症が悪化し、自殺未遂を図ったりもしている。その後はTVでの仕事が主となり、1959年に波瀾万丈の人生を綴った自伝を出版しベストセラーとなった。
『ふるえて眠れ』(1964年)を最後に引退。1987年にロサンゼルスで亡くなった。

主な出演作品

ドン・ファン Don Juan (1926)
紅塵 Red Dust (1932)
ジェニイの一生 Jennie Gerhardt (1933)
孔雀夫人 Dodsworth (1936)
ゼンダ城の虜 The Prisoner of Zenda (1937)
ハリケーン The Hurricane (1937)
マルタの鷹 The Maltese Falcon (1941)
偉大な嘘 The Great Lie (1941)
結婚五年目 The Palm Beach Story (1942) 『パーム・ビーチ・ストーリー』の題で再公開
若草の頃 Meet Me in St. Louis (1944)
若草物語 Little Women (1949)
ふるえて眠れ Hush... Hush, Sweet Charlotte (1964)

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